眠いのがこわい
昼間の眠気が強いなーというのは、学生時代から感じてました。
高校時代は、成長期だからなんだろうなって思ってた。
でも帰宅部だったので、帰宅して眠かったら夕食まで仮眠してたし、深夜ラジオ聞くために早く寝て早朝?起きてそのまま学校に行ったりとかしてました。
眠いときはすぐに眠れた。さすがに授業中は眠らなかったけど。
大学生のときはサークル活動を二年ほどがんばって、バイトもふたつ掛け持ちしていたので、やたら眠かった。授業中にも寝てました。
ある講義で、ナルコレプシーという突発的にあらがえないほどの強い眠気をもよおす病気があると知り、自分はそれじゃないかと思って先生に聞きに行ったら、ナルコレプシーはほんとに瞬間的に眠りに落ちるんだから君は該当しないと言われて、じゃあこの眠気は何だろうと思ったけど、ただの睡眠不足だろうという結論に達しました。
サークルをやめた大学生活後半は時間にも余裕ができたので、眠りたいだけ眠ったら、連続18時間睡眠という自己最高記録をつくり、起きたときに朝なのか昼なのか夜なのかわからないという体験をしました。
このときも眠りたいときにはすぐに眠れた。
卒業後、まあいろいろあってすぐ結婚して子どもも生まれ、子どもたちがADHDだと診断されました。
そのご縁でいろんな専門家や仲間や当事者の方々と出会えたんですが、ADHDの人の中には昼間の眠気が強いという人がちらほらいました。
息子は超多動児だったので、すごい勢いで動き回り、疲れたら電池が切れたという表現がぴったりなくらいぱったり眠りに落ちるというのを目の当たりにしました。
頭の中の多動が大人になっても治らないのがADHDなら、夜ちゃんと眠っても昼間に疲れてしまって、眠くなるのも当然なんだろうな、と。
わたし自身はADHDの診断を受けてはいませんが、頭の中が多動な自覚はあるので、出かける前に探しもので疲れる。多動な子ども(息子)こだわりの強い子ども(娘) を定時に出かけさせるのに疲れる。
いろんな理由で疲れる実感があって、眠気はそのせいかなとなんとなく腑に落ちました。
三十代半ばごろ二年ほど、パートだけど掛け持ち仕事をしていて、そのときは仕事と仕事の合間に眠っとかないと死んでしまう!と思っていたし、眠りたいときにはすぐ入眠できていました。
さすがに体がもたないので、二年ほどで掛け持ちをやめましたが、その後、三十代後半から眠りが浅くなったような気がします。
いつも夢を見ている(たぶん気のせい)ような気がするし、ちょっとした物音で目が覚めるし、なによりも入眠して三~五時間で一度目が覚めてしまう。
仕事が夜寄りの勤務だったのもダメだったのかもしれません。
いろいろがんばったけど、どうしても連続で眠れない。
眠れないと起きている時間にいつもよりも眠くなる。
でも布団に入ると眠れない。
そのころ、デジタルガジェットを持ち始めたのをきっかけに、睡眠記録を取り始めました。
最初はほぼ日手帳のバーチカル部分に記入していたけど、ネットサービスを使うと自動的に一覧にしてくれるし、視認性がよかったので、今はなき、ねむログというサービスを使っていました。
ipod touchのアプリで眠るときに記録して、起きるときにはまた記録する。それだけで一覧にしてくれます。
どうしても細切れ睡眠になるので、合算で七時間眠れたら大丈夫という自分の中の安全ラインをつくりました。
根拠はありません。なんとなく七時間。
でもその根拠がない七時間に長い間とらわれていたというか、七時間に少しでも足りないと不安になってしまうようになりました。
七時間に足りないから、仕事中眠くなるんじゃないかって。
でもよくよく思い返してみたら、仕事中はなんとなくハイ?になってるような気がしないでもないので、ミスることはあっても、眠くてたまらんということはないような。
いちばん眠いのは出勤前なんですが、その時間さえ乗り越えられればなんとかやれてしまいます。
仕事、人手が足りなくていつも忙しいし。
七時間以上眠れていたとしても、やっぱり出勤前は眠いのです。
これは出勤前だからしょうがないことなのか、それとも自分に合った睡眠時間があるのか。
ちょうど月も変わったことだし、今月いっぱいかけて試してみようとふと思いつきました。
休みの日は、病院だったり買い物だったりいろんなお出かけしないといけないことが時間指定であるので、とりあえず四時間しか寝てないけどこのまま行ってしまえ!みたいな、勢いでなんとかしてしまうところもありますが、仕事の日ってどうしても気力体力温存モードになってしまうのです。
眠いのが怖い=注意散漫でミスるのが怖い、かもしれません。
休みの日は注意散漫でも(運転しない限り)まあいっか、と自分に言い聞かせてるふしもあるし。
……とつらつらと考えをまとめていたら、ちょっと楽になりました。ブログばんざい。
でもできるだけ「こわい」を減らすために、今月は合算睡眠時間と、仕事中の眠気の関連を調べてみようと思います。
ちょうど今年からBullet Journalで睡眠ログ記録一覧を書き始めたしね。
あと、積ん読してた、藍玉さんの『まずは、書いてみる』とtwitterでちらほら話題になってた『家しごとがもっと楽しくなるノート術』を読んだから、ちょっとやる気が出たというのもあるし。
おくちの健康
物心ついたころから、歯医者さんには本当にお世話になってきました。
たぶんわたしのカルテがいちばんたくさんあるのは歯医者さんだといっても間違いではないくらい。
昔から歯の健康には無頓着だったので、痛くなってから歯医者に行き、かなり進んだ虫歯の治療に時間がかかり、十代ですでに奥歯の銀色率高いよという感じに。
二十代で親知らずが成長し始めて四本のうち三本とは早めにさようならしました。
いちばん成長の遅かった右下奥歯はほぼ真横といっていい方向、耳に向かって生えているという困ったちゃんで、三十代のときかかった歯医者さんで、抜くとしたら大掛かりな手術になるから、抜歯せず温存で行こうといわれ、今に至ります。
今通っている歯医者さんは、何件目かな。
数年前に引っ越しをして、いちばん家から近かったからという理由で通い始めました。
わたしのように飽きっぽい人は、遠くはダメ。雨でも雪でもちょっとがんばれば通える距離がいちばんよいです。
ここの歯医者はなかなか治療が終わりません。
毎回ちょっとずつ治療して、いちばん長いときは、一つの虫歯治療に一年半! まあそれは、子どものころにかぶせてもらった銀歯の下が大変なことになってたから、時間がお薬というのもあったぽいけど。
でも説明は丁寧だし、痛いって言ったらすぐ麻酔してくれるし(痛いの大嫌い)、歯みがき指導も毎回ちゃんとしてくれるし、頭痛持ちのせいで当日キャンセルをすることがたびたびあっても、気軽に予約変更できるし、治療最終日には、定期検診の予約を必ず入れさせるという、半強制定期検診サイクルをつくってくれるのはいいなと思います。
歯医者って怖いじゃないですか。
治療終わったら、やったーもう二度と来ないぞ!って浮かれるじゃないですか。
でも虫歯で治療を受けたことがあるということは、またできる可能性があるってことで、どうせ治療するなら早いうちに、痛みもないうちにがいいじゃないですか。
それに気がついたのが四十代になってからという遅さなんですが。
それもこの歯医者さんで教えてもらったような気がします。
歯がしみるのは虫歯じゃなくて年齢(&みがき方のヘタさ)による歯周病ではぐきがちぢむことによる知覚過敏のせいもあるとか。
お水じゃなくてぬるま湯でゆすぐといいとか。
力が入りやすい歯みがき始めは裏側からみがくとよいとか。
衛生士さんにいつもいろいろアドバイスをもらっています。
前回の歯みがき指導で教えてもらったのがこれ。
乳幼児用仕上げみがき歯ブラシをもっと小ぶりにしたようなこれ。
これがすごくいいお仕事をしてくれてます。
わたしの最終爆弾右下親知らずは真横に生えているので、普段使いの歯ブラシだと届かないところがあるんです。
そこにこのピンポイントブラシを潜入させて、鏡も使いながらみがく。
ついでに前歯の間も意外にみがけてないのでみがく。
歯のカーブのところの裏側もブラシが当たってないのでみがく。
すると定期検診のはぐきチェックで、すこーしよくなってたようです。やった!
このピンポイント歯ブラシ、わたしは歯医者に行くたびに買おうかなと思ってるんですが、ネット通販でも買えるようです。
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かたさはやわらかめなんだけど、すぐに開くこともなく、いい感じではぐきと歯の間をみがくことができます。
前は一分くらいでささっと、な感じでみがく日もあったんですが、今はふだんの歯ブラシでひととおりみがいて、一度ゆすいでから、今度は鏡を見ながらゆっくり気になるところをみがくというやり方に変えました。
自分でも、めっちゃすっきりしたって思えます。
あと、大事なのは「歯みがき粉」かな、と。
大人になったらスパイシーなからさも苦みもいけるようになると思ってたんですが、ついに不惑を迎えてもカレー辛口もキムチもコーヒーもわさびも受けつけられないままでした。
なので歯みがき粉も同じくミントが効いているものはみがき続けられなくて断念。
知覚過敏用歯みがき粉にも結構からめのがありまして。
がんばって三本くらい使ったものの、知覚過敏に効いてるかどうかイマイチわからなかったので、ここは思い切ってからくない歯みがき粉に変えることにしました。
↓これが今のわたしの歯みがき粉。
アンパンマンはみがきとってもイイ!
からくないから、いつまでもみがける。なんでもっと早く幼児用使わなかったんだろうって後悔するくらいイイ。
右のデンターシステマ、こちらは大人向けだけどあんまりからくないのでお勧めです。
みがいてもどうせ虫歯はできるんだから、歯医者さんとは縁をきらさないようにして、みがくときもできるだけ快適にしていけば、おくちの健康は今レベルには保てるのかな、なんて思ったりしてます。
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2017も雪にやられた。
カメムシが大量発生した次の冬は大雪っていう話があるけど、本当かも?と思っているところです。おはようございます。
おとといの夜から静かに降り出した雪が今朝も攻撃的に積もってます。
朝7時現在でコレ。
昨日から雪かきに着手していない車は埋もれています。
積雪は30~40cmくらい。でも、雪かきした後の雪の山は場所によりメートル級。
今日はさらに冷えて固まった雪で大混乱になるんだろうな。
米子道では今も大雪で動けない車が何十台もあるとか。早く動けますように。体調悪くする人ができませんように。
先々週末も寒波がやってくると聞いてためたお水を消費したところ、もっとすごい寒波が来たので、またお水をためました。
なんか毎週ためている。
でも断水は怖いし不便だからね。ためます。
去年の寒波による断水は出たり止まったりをくり返しながら三日ほど過ごしたので、ほんとしんどかったです。
今朝はまだ出るみたいだからホッとした。
近年最悪の豪雪だったのは六年前。
あのときの雪は見たことないくらいひどかった。
雪の深さに絶望して家に逃げ帰ること数回。
でも冷静になると、この雪を自力で何とかしないと何も進まないって思いなおして立ち向かう→逃げ出す→また立ち向かうってことをくり返し、人間って困難でどうしようもないって思っても、時間がたてばちょっとはやる気(やらんとしゃーないっていう投げやり半分なやる気)が出てくるもんなんだって知ったいい機会でした。
そのときの記録。
わたしの中の大雪の基準がこれなので、いつも2011年よりもすごいかどうかで判断してしまうけど、さすがに雪の量じゃなく、気温で水道管ダメージ受けた去年は日数が長かった分こたえました。
毎年、水の準備だ、停電の準備だってなって、いつも肝心な雪かき道具を後回しにしてしまう。
鉄製のショベルはあるけど、あれ重くてすぐ肩腰に来るので、いつもスノーダンプを買わないとって思ってるのに忘れる。
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さて、明るくなったし、雪かきに行ってくるかなぁ。
明るくなって全貌がわかると、またうわぁ、って躊躇するんだけど、がんばろ。
Bullet Journal 2017年バージョン
親の会の思い出
去年の秋に、親の会活動終了しますとtwitterで告知して、2015年末で14年の活動に幕を閉じた、鳥取県西部発達しょうがい児親の会ハッピーエンジェル。
こちらはサイト跡地。http://angel.s27.xrea.com/
活動といっても、14年大体毎月、発達障害のある子どものお母さん(たまにお父さんも)、かかわってくれる支援者の人が集まって、持ち寄ったお菓子とお茶をお供に、子どものこと、学校のこと、病院のこと、勉強会や講演会のことなどの情報交換、グチ悩み相談いろいろ話してすっきりして帰るという場でした。
親の会っぽい対外活動としては、初期のころに、発達障害の子どもを受け入れてくれる高校や学科設置をというお願いをしに、当時の県議さんを通じて県や市に働きかけにいったことくらい。
わたしはずっと代表をしていたので、いろんなところに行かせてもらったけれど、ただ創立からいるからという程度の代表なので、積極的に熱意をもってお願いしに回るとかじゃなくて、なんか申し訳なかったです。
あれから時がたって、ハッピーエンジェル以外に、熱意をもって活動していると思われる親の会もできたようです。
発達障害の知名度も上がり、特別支援学校高等部以外に、進学する道もずいぶん増えました。
過去の記録を見てみたら、2007年、自立支援法が始まったころ、勉強会をしていたようです。
読み返してみたら、勉強会の後、あれもやりたい、これもやらなきゃっていろいろ頭の中にあるようだけど、それが実現してないところを見ると、いつもの「企画はするけど動かず(動けるほどの考えがまとまらない&熱意が持続しない)」パティーンだったんだろうなと。
ああ、頭の中が多動な人あるあるだ。
息子が十年お世話になった主治医先生は、リタリン騒動の後くらいに医学部から教育学部に移られ、その後も限られた診察日(月二回!)でいろいろ話を聞いてくださいました。
親の会に来られることはなかったけど(忙しいので無理)、息子の診察日なのに、親の会の相談にも乗ってくださった。ただ話をするだけの会にも存在意義はあると言ってくださった。主治医先生には本当に感謝しています。
異動になる前には、教育学部に替わって、通常学級にあたりまえにいる発達障害の子どもにだれでも適切な対応ができるよう、教師を目指す人たちに発達障害のことを教えていく計画も実りつつあるのかななんて話をされてて、ああすごい先生だったんだなって。
地元の医療系専門学校の臨床心理士の先生にも、何度か来ていただきました。
親の会サイトをつくったあたりから、医学部の学生さんから卒論への協力をしてほしいという依頼も来るようになりました。遠く県外から来た人もいました。
子ども自身の協力というよりも、親の心情についての話を聞きたいという人が多かったかな。これは自由参加で、有志でインタビューに協力しました。
悩みの渦中にあると、話すのがつらい人もいるので有志で。
過ぎたころでも、思い出してつらさフラッシュバックでやっぱりグッときたけども。
親子イベントで、卒論で知り合った大学生のお兄さんお姉さんと遊んでもらう会をしました。多動な子たちの相手は疲れたことでしょう笑 でも子どもたちはみんなすごく楽しんでました。
初期にはLD等専門員の先生方にもすごくすごくお世話になりました。
各学校を回って、相談を受けたお母さんたちをみんなハッピーエンジェルに誘ってくださって。なので、初期のメンバーさんは先生経由で来てくれたお母さんが多いです。
あとはわたしのつたないインターネット知識を駆使してつくったサイトとか、wordでつくったなんちゃってチラシを病院とか療育施設に置かせてもらって、それを見て連絡くれた人とか。
そうやって来てくれた人の中に、めっちゃネットやデジタル系ツールに詳しい人がいて、後半は電脳系はほぼ彼女にお世話になりました。メンバー専用ツールを使おう! メーリングリストやろう、mixiやろう、Facebookやろう、みんな彼女がセッティング管理もろもろやってくれました。わたしは言うだけ。ごめんなさい。いつもありがとう。
親子イベントを積極的に企画してくれる人も現れました。元学校の先生です。
野外で鉄板焼きとか、お花見で学校のグラウンドくらいある広場の外周で果てしない鬼ごっことか、大山青年自然の家で目いっぱい遊ぶとか。
子どもたちおおよろこびでした。
いつもはお茶会だけど、年末には忘年会ランチと銘打ってお昼ごはん一緒に食べたりとか。お母さんだけですけど。
最後の年には、ご縁あって知り合った社会福祉法人の方が発達障害の勉強会をされるということで、何度か有志で参加させてもらいました。
山陰発達障害当事者会スモステの会の難波さんの講演会や、療育相談会を主催していただき、勉強になりました。
山陰発達障害当事者会スモステの会 | 松江市共創のまちづくり支援サイト
療育相談会は、親の会メンバーから相談を募って、それに難波さんが当日ひとつひとつ回答をくださるというすごくぜいたくな相談会でした。難波さん、ありがとうございました!
そんな感じで14年、ほぼお菓子食べて話す、という活動をしてきました。
なんで突然こんな思い出話をするのかというと、先日、やっと自分の中で区切りがついたからです。
14年間茶話会メインの活動をしてきましたが、会費ももらってまして、それが残ったので、メンバーさんへの卒業記念品を買ったり、残りを寄付したりの清算をしなけれならず、本当なら今年の初めには終われるはずだったのが、今月やっとできまして。
先週、年一回やろうねと言っていた同窓会ランチをして、やっとわたしの中で区切りがつきました。
これで本当にハッピーエンジェルが終わったんだなぁって。
でも、この14年での出会いで、貴重なつながりも友だちもできたので、いい14年だっ たなって思います。
14年間のいい出会いに感謝しつつ、もう団体という肩書も知名度もないけど、これからは個人でできることを探して、熱意が持続する範囲でやっていこうと思います。
金持神社に行ってきました。
どこかに出かけるときは、わりと突発的に前日くらいに、あそこに行こう!とかなるんですが、今回もそうでした。
金持神社。金持と書いて「かもち」と読みます。
その名の通り金運にご利益があるということで有名らしいです。わたしは最近知りました。
金持神社のある日野町は、ここ米子市から車で一時間くらいの山間部にあります。
わたしの中では雪深いイメージで、山陽方面に行くときに通るところというポジションだったのですが、ふと行ってみようかという話になりました。
ちょうど天気もよく、紅葉も見られるかな?くらいの感じで。
方向オンチなので、今回もナビアプリに頼りましたが、すごい遠回り指示をされました。
なので、米子方面から行かれる方は、とにかく国道181号線をまっすぐ行くべし! 日野高校を過ぎてもまっすぐ。そしたらやがて右手に見えてくるよ、といったところです。
よくわたしがついったーで大山(だいせん)の話題を出しますが、大山の周りをぐるりとたどって裏側に行ったあたりにある山の中の神社です。
周りの風景、こんな感じです。めっちゃのどか。
昨日はたまたまウォーキング系のイベントをしていたようで、マイクロバスが停まってたり、おそろいの緑のシャツを着た参加者らしい人たちがお昼をとってたりしました。
露店もあって、すごくいい匂いがする中、お参りに行きます。
参道を抜けると、いちばん上の画像の鳥居が見えます。
手前に手水舎があって、そこから上を見上げるともんのすごくせまくて急な階段。
あまりにも急でのぼるのきつかったけど、100段あるかな、ないかな、というところだと思います。
のぼりきった森の中に本殿。
急な石段でぶるぶるするふくらはぎをごまかしつつ参拝しました。
少し(三段くらい)降りたところにお守りとか絵馬が売ってある場所があって、そこで絵馬とお守りとおみくじを買いました。
これは小さいサイズ。大きい方は招き猫の絵柄です。
願いごとを書いて奉納しに行くと、金運系のお願いがいっぱいでした。やっぱり。
本殿のある山頂はほんとに狭くて、本殿と社務所のみでした。
見て回るところもないので、また急な石段を下りて、今度はいい匂いのする売店周辺に行きます。
売店にはおみやげがたくさん売ってて、ダジャレ系のグッズがいくつかありました。
「棚からぼたもち」という名前のおはぎ?とか、カエル(お金が返る)のストラップとか。
金持神社の名前の入った、金運アップの黄色い革製品もたくさん。
露店でくりまんじゅうを買っていたら、少し離れたところからいい匂いが。
いい匂いのもとはこちらのお店から。
ご当地バーガーの「奥日野きのこのコンフィバーガー」
実はご当地バーガーって初めてだったので、すごく食べたくて。
目の前でお肉やバンズを焼いてて、いいお肉使ってそうだなと思ったら、やっぱりすごくおいしかった。牛肉100%だそうです。
しいたけとオリーブオイルの香りがすごいので、どちらも苦手な方はダメかもだけど、オリーブオイルが苦手なわたしはおいしくいただけました。
ソースって使ってるのかな? ほぼ素材の味とスパイスだけって感じだった。
持ち帰りにすると残念ながら味が落ちるってお店のお兄さんが言ってたけど、子どもたちにも食べさせたくて買って帰りました。
しいたけが苦手な子どもたちは微妙な表情で(^^;
金持支店?は土日のみ営業しているそうなので、奥日野バーガー狙いの人はぜひ土日に。
米子にこのハンバーガーショップの本店があるそうです。
地元でも食べられるんだ。
売店の中にも絵馬が売っていて、社務所じゃなくても買えるんだなと思っていたら、売店そばの絵馬奉納場所には、なんとお礼参り報告がたくさん!
「宝くじ高額当選しました」とか「事業が成功しました」とかお金系成就しました報告がいっぱいあって、ご利益すごいなと思いましたね。
夫と、これはジャンボ宝くじ買って当てて、次はお礼参りに来ないとな、となんとなくそんな話になりました。
金持神社っていう名前から、なんとなく金張りのきらきらした神社を想像していたけど、こぢんまりした本殿とダジャレ感満載の売店、社務所のお守り系ラインナップも大みそかに行った一畑薬師よりも少なくて、あまり商売っ気ないのかも、なんて思ったりしましたが、本殿周辺の神々しい雰囲気と、地上ののんびりおだやかできれいな空気、小川のせせらぎがすごくいい感じです。
米子市内から車で一時間ほどというのもいい。
また春か秋に来たいな。
帰りは道の駅奥大山
で地元でとれた野菜とマロンソフトクリームを買いました。おいしかった❤
県外の人は、鳥取県の二十世紀梨ソフトと白バラソフトとマロンとブルーベリーソフトと食べに来たらいいと思うんだ。
マジで鳥取県スイーツおすすめします。
また突発的に神社仏閣めぐり(主目的:おいしいもの)したときにはご報告します。
いちばん上の写真、ご利益ありそうだからスマホの壁紙にしようかな。
心揺らぐ秋
秋になると、お出かけした先でかなりの確率で出会うのが「来年の手帳コーナー」
二年前の今ごろ、↑の写真の2015ほぼ日手帳のマミタスカバーに一目ぼれして、ほぼ日に挫折することはわかっていながらセット購入し(セットでないと買えなかった)、買った後にBullet Journalに出会ってしまい、マミタスも使いたい! でもBullet Journalすごい自分に合ってる! とじたばたした結果、ほぼ日でBullet Journalというよくわからん方式を約一年やりました。
見てはいけないと思いつつ、見てしまうのがほぼ日の新作カバーページ。
たまたま今年は心惹かれるカバーがなくて安心(?)したものの、Twitterの文具スキータイムラインには、来年の手帳をわくわくしながら悩んでいる人たちの様子が次々とあらわれ、わたしも手帳を新しくしたい!なんて思ってしまってさあ大変。
おばちゃんもともと飽きっぽいんですよ。
でもBullet Journalに飽きたわけではなく、むしろこのまま続けていきたい所存。
Bullet Journalのいいところは、中身は自分で好きなように構成できること。
そして外側だって好きなようにできるんです。中身はただのノートだし。
ほぼ好みのノート構成が固まった去年からは、たくさん書けるA5を好んで買ってました。当時はもうこのサイズしかないと思ってたからね! あほですね。
同じノートが複数あるのは、使い勝手がいいとまとめ買いしちゃうからです。
前列真ん中の動物柄とその隣の文具柄のノート、中がドットでとてもよいです。ちょっと紙が薄いけど、120ページ超あって、A5版Bullet Journal人におすすめです。ダイソーです。
今はナカバヤシのノートカバーにネットプリントで印刷したブックカバーを挟み込んで使ってます。
このブックカバーもすごく気に入ってるんです。
だがしかし。すっごくほれ込んで探して、人さまにお願いしてまで買ってきてもらったマミタスカバーが一年弱しか使えなかったことがすごく心残りだったというか。
ここにきて、来年の手帳のカバー変えてもいいよね?って思うようになりました。
でもひとつ問題が。
そうです最初の写真でおわかりのように、サイズが全然違うんです。
今使っているA5のほぼ半分の大きさ。つまり文庫サイズ。
開いて並べてみても、あっ、ちっちゃ!ってなりました。
ノートが変わったところで、最近老眼傾向が出てきたおばちゃんには、文字を小さく書くことは無理です。
なので必然的にページをたくさん消費した挙句、あー文庫サイズ無理だわーとなる可能性が大きいので、10月から一か月、おためしでマミタスカバーでやってみることにしました。
やっぱりサイズちっちゃいムリってなったときにあきらめがつくように、マンスリー部分はmeetsで買ったブロックマンスリー、記録部分は雑誌の付録の無地ノートで。
もともと文具集めが好きなので、いろんなサイズのノート持ってます。
厚みはほぼ日よりもだいぶ薄くなるので、持ち運びはしやすくなるかな。
ピンクのカバーがほぼ日、緑のリボンはさんであるほうがマミタスBullet Journal。
あんなに集めたA5ノートどうするかなーと思ったけど、どうせ飽きっぽいわたしのことなので、いずれは違うカバーにしたいとか、大きいノートに思い切り書きたいとか考え始めるので、そのときのためにとっておいてもいいかな。
そしてこれからサイズ変わってもいいように、ほぼ日カズン(A5)のカバーを毎年チェックして、気に入ったカバーはできるだけ速やかに入手するようにしますね。
去年、断捨離とかtwitterで騒いでた人がお送りしました。
ときめくものはいいんです!(ホント?